2018年1月11日木曜日

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

みなさんは「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というフレーズを知っていますか?

武術好き人ならば宮本武蔵の
「振り下ろす太刀の下こそ地獄なれ 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という
句を思い出すかもしれません。
「死中に活を求める」ということですね。

もともとは平安時代の空也上人の句の、
「山川の末(さき)に流るる橡柄(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
という歌のようです。
意味は「山あいの川を流れてきたトチの実は、自分から川に身を投げたからこそ、
やがては浮かび上がり、こうして広い下流に到達することが出来たのだ」。
下の写真が空也上人です。

なぜ、こんなことを思い出したのかというと、三谷さんのセミナーで、
ミドルキックに対処にする時に、三谷さんがすっとキックの下へ沈み込んで、
相手をテイクダウンしたのと見たからです。
「身を捨ててこそ……」と思いました。

ちょうどシステマ湘南の蔵岡さんのリードで、相手のパンチをギリギリに
ひきつけておいてから、パンチを繰り出す。
いわゆる後の先、一刀流でいう「切り落とし」の技のような練習をした時に、
システマって、古流武術の発想につながるなと思っていたところでした。

もう一度、武蔵の歌に戻れば、この句は、
「敵が振り下ろす太刀の下にいたら切られて、そこは地獄だよ。
(そこで一日退いたりするのではなく)むしろ、一歩踏み込めば、
そこは極楽で、相手を制することができる」ということです。

一歩踏み込めという解釈は、柳生宗矩の似たような剣道歌
「振り下ろす太刀の下こそ地獄なれ 一歩踏み込め そこは極楽」
を参照しています。

この句をどう体現するのか。普通の人だと、
相手の攻撃を退かず、一歩踏み込む型を身に付けるという方向に
練習していくんじゃないかと思います。
つまり、「身を捨てる」ことを目的してしまう。

でも、システマ的にはたぶん、そうではなくて、
「自分の心地いいポジションを求めていたら、一歩踏み込んでいた」という感じで、
「身を捨てる」「一歩踏み込む」というのは結果でしかないということです。

自分でリラックして気持ちよく動いていたら、
そうなっていたということだと思います。

なかなかそうなるのは難しいのですが、システマではそういう体や心を
作り上げていこうとしているのだと思っています。

取り上げた句は、果たして武蔵や宗矩が自分たちで歌ったものなのでしょうか。
いずれも「伝」であり、後世の人の創作だと思いますが、
本人たちは意図せずに動いていたのに違いありません。

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