2017年3月22日水曜日

イメージを使ってはいけない?

大阪でのセルゲイ&ザイコフスキーセミナーは非常に面白かったのですが、
その後のザイコフスキー東京セミナーで
「インターナルフォーム」というコンセプトが登場したのは衝撃的でした。

いまや東京のシステマ界では、その話題で持ちきりです。
この「インターナルフォーム」については、
システマ各クラスで体験していただくほかありません。
ただ、見えない世界を扱うため、どうしてもイメージを使いたくなってしまいます。
しかし、ザイコフスキー師は、
「イメージを使わないでください。感覚だけを頼りにしてください」
と強く言っていました。

この発言について、一部では物議を醸しだしており、
「イメージ使わない、自分はインターナルフォームは念だと思う」とか
「意識の意だと思う」という発言も聞きました。
しかし「念」とか「意」と言った時点で、そこにはイメージが生じるわけです。

全ての言葉には、イメージが付き添っているわけで、
「イメージを使うな」というのは、つまり「言葉で説明するな」と同義になります。

だからこそ、ザイコフスキー師は、
「僕は嘘つきですから、僕の言葉を信用しないでください」
「言葉に捉われないでください。感覚を信じてください」と、
言葉を頼りにすることについては警鐘を鳴らすのだと思います。

そこには彼がロシア正教徒であることとは無縁でないと思われます。
東方正教会では、カトリック以上に偶像崇拝を禁止します。
神はイメージするものではなく、感じるものだからです。

ザイコフスキー師は、こうも言っています。
「10人ぐらいの少人数クラスでならば、言葉を一切使わないでクラスをリードするのが
ベストだが、100人ぐらいいれば、どうしても言葉を使わざるをえない」と。

10人でも言葉を使わないでリードできるのはザイコフスキー師だからでしょう。
凡人のインストクラターである私は説明する時に言葉を使わざるをえないし、
イメージを使ってもいいと思っています。

「言葉に捉われるな」というのは、「イメージを使うな」という言葉自体にも
捉われてはいけないのだと考えます。

要するに大切なのは、一定のイメージに捉われるなということだと思います。
自分の感覚を把握するために、ある種のイメージを方便として持っていたのに、
その方便が目的となり、そのイメージを追い求めるようになる。
ザイコフスキー師は、このような主客転倒を戒めているのだと思います。

また、ザイコフスキー師は愛のことも言っていました。
「愛をどんなにイメージしても分からない。これが愛だろうな、あれが愛だろうな
と妄想になるだけだ。実際に愛を感じないと分からない」と。

「愛とはこういうものである」とイメージを優先してしまうと、
目の前にある愛に気がつかないこともあります。
末娘コーディリアの愛に気がつかなかったリア王のように。

というわけで、システマ湘南でも私の説明は参考程度で、信用しないでください。
あくまでも自分の感覚を頼りにしてください。
システマ湘南では、性懲りもなくイメージで説明します。

次回のシステマ湘南は3月25日、11時から鎌倉体育館・格技室で、
上記のインターナルフォームの復習。
15時から見田記念体育館・多目的室で、大阪セミナーの復習となります。


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